髙橋大輔が引退!浅田真央も引退か?その伝説の軌跡【15歳編】

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10月14日、フィギュアスケート男子の天才、

髙橋大輔選手が生まれ故郷の岡山で引退会見を行いました。

 

その表情は、晴れ晴れとしていて、

とても気持ちのいい会見だったという印象でした。

 

【以下引用】

「今後について考えていく中で、自分の中でスッキリしない思いがあった。そこでまず引退を一区切りとしてから考えたいと。スッキリした状態でゆっくりと考えたいという思いがあり、今回のご報告という形になった。ファンの皆さんの(心の)準備がない中で急に発表してしまったことは申し訳ないと思っています」と引退に至った心境を説明した。決断した時期については「9月半ば、誰にも相談せずに一人で決めました」と明かした。

引退を決めた理由について「けがは大きな理由ではないです。五輪までの4年ということを考えた時に、いままでのようにスケートに向き合えるか、それを続けられるか、というところがわからなかった」と痛めている右ひざやすねの故障ではなく、モチベーション面での要因が大きかったという。現役中の印象深い出来事を問われると「いいことも悪いこともすべて思い出です。ただバンクーバーの表彰式、日本の国旗が上がっていくのは今でもすぐ思い出せる」と銅メダルを獲得した五輪での出来事を挙げた。

 

本人が決めた事なので、温かく見守っていきましょう。

とりあえず、一旦、ご苦労様でした。

 

そして、話はここからである。

男子の注目選手が髙橋選手なら、

女子の注目選手の浅田真央選手の動向である。

 

浅田真央選手も引退しちゃうのか!?

 

個人的には、デビュー当時から、

ずっと応援してきた浅田真央選手が引退するとなれば、

感極まって泣いてしまうかもしれません。

 

筆者ほど、フィギュアにも浅田真央選手にも興味のない人が殆どでしょう。

そんな方達に少しでも、浅田真央選手の事を知って貰いたいと思い、

どのような選手なのかをまとめてみました。

 

浅田真央選手とはどんな人物?

 

では、浅田真央選手の事を全く知らない人のために例えると、

 

野球でいうと長嶋茂雄

サッカーでいうと三浦知良

柔道でいうと谷亮子

 

これぐらいのインパクトを残した選手です。

そして、浅田真央選手の生き様を紐解く事で勇気が貰えて、

サラリーマンの方にとっても生きる元気が貰えると思います。

 

という事で、この機会だからこそ、

浅田真央選手のアスリート履歴を振り返っていきたいと思います。

 

勝っても負けても美しく輝く浅田真央選手

 

どのスポーツでも

「優勝したからすごい!」

「勝ち続けるから素晴らしい」

と絶賛されるのがスポーツ選手です。

 

ですが、浅田真央選手は勝っていなくても、

負け続けていても、それでも絶賛されます。

 

なぜなら、その背後に勝利しても美しく輝き

負けたとしても美しく絵になる存在なのです。

 

これは持って生まれたオーラとしか説明のしようがありません。

 

最近のソチオリンピックも6位という

メダルに手が届いていないのに世界から絶賛されました。

 

そして、5位までしか出演できない、

エキシビジョンに高橋大輔選手と浅田真央選手が招待され、

エキシビジョンナンバーを披露しました。
浅田選手は順位ではないところに魅力があるのです。

 

世界と世論を動かした浅田真央

 

 

浅田選手はフィギュアスケート界では、

以前から、かなり注目されていましたが、

一般の人にまで注目されるようになったのは

2005年~2006年シーズンのグランプリファイナルです。

翌年にトリノオリンピックを控えていた頃です。

 

その当時、無敵の女王と言われていた

ロシアのイリーナスルツカヤ選手を破って優勝しました。

 

トリプルアクセルも決まって、

全国民が浅田真央選手を知る事になりました。

 

今まで日本人選手は、

スルツカヤ選手を破る事ができませんでした。

それを15歳だった浅田真央選手が破ったのです。

9で15歳になった浅田真央選手が、

約3ヶ月後の12月にスルツカヤ選手を破ったのです。

 

しかし、その2ヶ月後、

翌年のトリノオリンピックには出場できませんでした。

 

なぜなら、オリンピックに出場できるのは、

前年の7月までに15歳になってないといけない、

というルールがあったからです。

 

浅田選手は9月生まれでした。

ルールを改正して、浅田選手をオリンピックに出すべきだ!

という声は、日本国内だけではなく世界中で起きました。

 

日本では、署名運動が起きましたし、

連盟に多くの声が寄せられました。

 

そしてマスコミにも出場できない事が取り上げられ、

浅田選手がオリンピックに出られないことについて、

当時総理大臣だった小泉さんが

囲み取材に応じなくてはいけないほどでした。

 

世界では、長野オリンピックに出場し

15歳で金メダルを獲得したタラリピンスキーさんが、

「浅田真央選手にチャンスを与えるべき」と発言しました。

 

浅田真央選手は、タラリピンスキーさんが

15歳で金メダルを獲得したのをテレビで見て、

自分も金メダルを取るんだ決意したのです。

 

憧れの選手であるタラリピンスキーさんの思いも伝わらず

出場できなかったものの、日本国中、世界中を動かしたのです。

 

15歳の女の子をみんなが応援しました。

ただの素質がある選手という領域を超えて、

あの可愛らしい人柄が世界中を魅了したのだと思います。

 

結局、出場できませんでしたが、

本人は、もともと

バンクーバーに出るというのを目標にしていたので、

全く気にしていなかったと言っています。

 

この精神力も素晴らしいですね。

このオリンピック騒動があったシーズン。

 

このシーズンの終わりの世界選手権は

浅田選手はジュニアの世界選手権に出場しました。

 

浅田真央選手がついにシニアに本格参戦

 

翌年からシニアに本格参戦となります。

翌年のシーズンはトリプルアクセルの前にステップを入れるという

男子でも成功できない技を習得しようと頑張りました。

 

なかなかできず、トリプルアクセルが決まりませんでした。

シニアの世界選手権出場権を獲得し、

夢に見た世界選手権のショートプログラムでは、

コンビネーションジャンプ(2連蔵のジャンプ)の最初が1回転になり、

コンビネーションをつけることができませんでした。

 

今までショートでミスがないのが

浅田選手のイメージだったので衝撃でしたね。

 

このシーズンのショートプログラムの音楽が

ソチオリンピックのショートプログラムと同じ「ノクターン」です。

浅田選手に本当に合っていたと思います。

 

ピンクとパープルが両方淡い色合いで、

グラデーションがかかっており、

ノクターンの優しいピアノ旋律が流れる中、

リンクで舞う浅田選手は妖精のそのものでした。

 

ショートプログラムで出遅れた浅田選手は

フリーでステップからのトリプルアクセルを決めて、

ほぼノーミスの演技でした。

 

最終滑走の安藤選手を残してはいますが1位でした。

その後、安藤選手も素晴らしい演技をして、

極わずかな差で2位になりました。

 

初出場で2位だったことが素晴らしいのに、

浅田選手はトイレで悔し涙を流していたのです。

それほど真剣にスケートに取り組んでいるのが浅田真央選手なのです。

 

戦う相手は他人ではなく自分

 

浅田真央選手は、1位への執着心が人一倍強いように思います。

自分が年令が下だから負けても仕方が無い、

なんて思わず一生懸命に自分を磨いて、

ベテランとも戦っていく姿は心に響きます。

 

社会人になって、

「新人だから」と思ってしまう人は多くいると思います。

私もその一人でした。

 

浅田真央選手の姿勢を見て

自分の甘さに気づかされました。

 

浅田選手が戦っているのは他人ではありません。

常に自分と戦っています。

 

自分が最高の演技をするだけ、

それだけしか考えていないのです。

 

その心の強さも魅力だと思います。

自分がミスしたのであれば、

優勝したことは嬉しいけれど、

大喜びしないのが浅田選手なのです。

本当にかっこいい人です。

 

みなさま、いかがだったでしょうか。

思い出す事が多々あり、

まとまりなく書き綴らせて頂きました。

 

しかし、まだまだ書きたい事があるので、

またの機会に続きを書かせて頂きたいと思います。

 

みんなで浅田真央選手の動向を見守りつつ、

どういう決断をしても応援していきましょうね!


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